第六章  守られすぎの無責任銀行

借りる方の責任は間われるけど、貸す方の責任は?

 ローンとクレジッ卜言えば何やらきれいに聞こえるが、「借金」であることに変わりはない。要するに銀行という金貸し業からのお金の貸し借りに過ぎない。貸すにしてみれば、銀行であろうとサラ金であろうと、どこでも考えることに変わりはないのだ。借り方がいかに貸した金をチャンと返してくれるかどうか、が最重要課題で有るわけだ。

そのリスクの大きさに合わせ金利の大小を決定している。貸す方にとってのリスクの大小とは、債務不履行の確立のことだ。簡単に言えば貸したお金が戻ってこない危険度のこと。

 金利すなわちお金を貸す側の「儲け」のことだから、金利が高ければ高いほど儲けが多いことになるが、事はそう簡単ではない。
いくら儲けが多くても、返済されなければ話にならない。

 サラ金業者等は、法定金利ギリギリの高い金利で融資を行ってる。審査が甘く簡単に融資を行うので、その手軽さが便利なことから利用者が多いのだが、その分返済されない確率が高いので、金利を高く取らなければやっていけないのだ。ハイリスク・ハイリターンの典型だろう。よくサラ金業者の厳しい取り立てが問題となり、悪徳業者の見本のように言われているが、彼らも商売。融資した金を返済してもらえなければ、商売は成り立たない。貸した金を返せと迫るのは当然のことで、返さない方が元々悪いのだ。テレビコマーシャルでもやっているように、収入と返済のバランスが大事なわけで、借りたのは良いけれど返さなければならないのは当然のことだ。私は貸す方より、返済できない金額を簡単に借りてしまう方に間題があるように思えて仕方ないのだが、どうなのだろう。貸す方が、悪いのだろうか?

 さて、サラ金業者のことはここでのテーマではないので置いといて、その対岸にいる銀行の話を続けよう。銀行の貸し出す金利は、特に住宅ローンは国内の貸出金利としては最も低いものだ。ゼロ金利政策が解除されたとはいえ、未だ1%台で利用できる。そんな住宅ローンが存在している国なく世界中どこを探してもない。では、その低い金利で貸し出すために、銀行はどのようにしているのだろう。

 まず馨申込者の返済能力を年齢・家族構成・収入・勤務先・仕事内容その他の借入金返済状況・個人信用情報などでチエックするが、これはサラ金業者でも同じだ。そして前章で述べた保証会社が保証してくれる申込者かどうか。すでにここまで読まれた読者にはおわかりだと思うが、この保証会社が保証してくれる申込者かどうかで大きく変わってくる。

 保証会社が保証するなら、融資決定。保証しないなら、その融資は否決。まれに例外もあるが、ほとんどの場合保証会社の決定が最終決定だ。銀行担当者によると、銀行より保証会社の方が、力関係では上だそうだ。銀行が融資したくても、保証会社がノーと言えばノーになってしまうのだ。

 融資申込の際の申込書も融資申込と表面はなっているが、二枚目以降は保証会社に対する保証込書となっている。ほとんどの方はこのことに気付いていないようだ。
契約の際に連帯保証人を記入する場合や担保の明細にしても、全て「保証会社に対する~」となっている。実際に、保証会社は契約の際に立ち会うことは決して無いのだが、融資契約は銀行とのもの、と言うより保証会社とのもの、と言ったほうが正しいのだ。

 前章でも触れたように、銀行にしてみれぱ、保証会社の保証さえとれれぱ、何かが起こったとしても融資した金額は確実に守られているのだ。保証会社が入ることによって銀行内部では、融資することの責任は追及されない、という構造ができあがっているのだ。融資担当窓口は、単なる書類の受け渡し窓口にしかすぎず、融資したことに対する責任も無いのだから、おのずとどのような人材が配置されるか、想像がつくだろう。

 では、実際に融資の審査を行い、融資の最終決定を行う保証会社はどうなっているのだろう。こちらは大きなリスクを実際に負うことになるので、万一の保全を第一に考える。ご存知のように、融資に対しては土地・建物を担保として提供させ、第一番の抵当権を設定する。まず一番抵当でなけれぱ保証しない。万一の債務不履行に対しては、担保物件を差し押さえ、競売にかけ換金し、融資金額の回収を図るのだ。しかしこれで終わりではない。何故なら競売で換金したからといって、融資金額の全額 が回収できているとは限らないからだ。

 実際に融資金額よりも低い金額で換金された場合は、どうなるのだろう。あなたは融資を受ける際に高い保証料を負担していたのだが、この保証は銀行に対し保証会社が融資金額を保証するものだった。銀行は守られていたが、あなたは守られていない。返済ができなくなり、家を競売にかけられ失ったとしても、それで終わりではないのだ。融資残金から競売での換金分を引いた、まだ残りがある。それはあなたの借金なのだ。家を失い借金だけが残る、という悲惨な状況に陥ってしまうのだ。

 借りたものは、返さなければならない。当然なことなのだが、この「家を失い借金だけが残る。」という事実を改めて見つめ直すと、妙なことに気付く。

 そもそも担保を提供するということは、その担保物件に対して融資をしてもらうことのはずだ。例えば質屋さんでお金を借りる時のことを考えてみよう。ダイヤモンドの指輪を質入れして十万円を借りたとする。返済ができなくなった場合は、質流れとなり、それで全て終わりとなる。質屋がそのダイヤモンドを市場で換金して、仮にその価格が五万円だったとしても、 「十万円貸したのに、処分したら五万円にしかならなかった。後五万円不足している。足りない五万円はどうやって返済してくれるのだ!」と質屋は
決して」言わない。貸すときにその担保物件を見て値踏みするのは、貸す方の責任だとわかっているからだ。プロとしての技量の間題なのだ。責任があるからこそ、儲かることもあるし、損することもある、という考え方が基本なのだ。

 ところが日本の銀行の融資は違う。保証会社がなんとしても保証した金額、融資の金額全額を回収しようとするのだ。この場合、審査した時のプロとしての責任はどうなっているのだろう。日本の銀行ではその責任は間わないのだ。

 しかし、世界を見回してみると、このような融資制度の方が実は珍しいのだ。たとえ住宅口ーンと言う大きな金額でも、貸す方の責任が間われるのが一般的で、その担保物件でその融資を決定したのだから、万一返済ができなくなった場合、担保物件を処分して換金すればそれで全て終わりとなり、損失が出たとしても損失が出たのは貸した方が悪い、責任は貸した方にある、と考えるのだ。

 この融資制度をノンリコースローン(非遡及型融資)といい債務者側(借りた方)を守っている。家を返せば借金は消えるという訳だ。すでに欧米では貸す側の注意義務を原則として消費者保護法が制定されている。米国の幾つかの州では市民の生存権のため
といって、ノンリコース以外の融資を禁止しているところもある。

 片や日本のように担保物件を処分し換金しても借金全額は返さなければならない、という制度は、リコースローン(遡及型融資)といい、無条件で債権者(貸した方)を守っているのだ。

 これは驚くべきことで、民法の制定された百年以上前のままで、融資契約を規制するものとしては借主の返還義務を定めているのみだ。ともかく日本には、借りたら返せという論理しかないのだ。銀行は保証会社に守られ、保証会社は国の法律によって守られているのだ。このことが銀行の「無」責任体質を創りあげている。

  

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